2006年08月21日

初めての町へ行ったら教会へ

フィンランドの大きな町には「大聖堂」と呼ばれる大きな教会があります。大聖堂でなくてもその町の名前が付いた教会が、町のほぼ中心部に立っています。少し田舎の町や村へ行くと、教会を中心に町が発達したということがよくわかります。そして、そんな教会の敷地には必ず墓地も一緒にあります。

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今回の夏休みの最終日は初めての町にお邪魔しました。そこへ行く途中には、中世に建造された教会としてはけっこう有名な教会もありましたので、駆け足教会めぐりをしてきました。残念ながら、古い教会のいくつかは、町に新しい教会ができたことで、「博物館教会」となっていて、簡単に中に入ることはできないようになっているところもあります。今回訪れた町は、ハメーンリンナ周辺でしたので、中世の教会も石造り。東フィンランドにある古い木造教会とはかなり趣が違いますし、現代の著名建築家が手がけたモダンな教会ともまったく違います。
教会の敷地全体が、低く石を積み重ねた塀で囲まれていて、敷地にはゲートか鐘の塔をくぐって入ります。

フィンランドへ来て、いつも「すごいな」と思うのは、戦没者を教会の墓地にきちんと埋葬していること。第二次世界大戦で散った若い命はもとより、国が赤軍と白軍とに分かれて戦った独立戦争の戦没者を悼む墓石もあります。

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独立戦争戦没者を祀った墓石


第二次世界大戦で戦没した兵士たちの墓石は、皆おそろいである区画にきちんと、本当に整然と並んでいます。独立戦争の時は、国が地域によって赤と白とに分かれてしまったこともあり、戦没者の多い町・村とそうでないところで墓石がある教会とないところがあるようです。今回、訪れた教会の墓地には、カレリア地方の紋章が入ったものもあったので、どういうことなのかをたずねてみました。ここの村から多くの若者がカレリア地方へ出征し、命を落としたのに、戦後、旧ソ連領に割譲された地域で亡くなったため、戦後しばらくお骨を持ってこられなかったのだとか。1950年代後半になってようやく本国へお骨を持って帰ることができ、そのときに合祀したという、そういう墓石でした。

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カレリア地方で戦没した戦士を祀った墓石


こんなお話をすると、日本ではどうしても遠い話に感じてしまう第二次世界大戦が、ものすごく近い時代の出来事なのだということを思い知ることになります。それはなぜか・・・私の親世代の人と話すのではなく、同世代もしくは、少し上の年代の人とと話したときに、「僕の生まれた町から、大勢の兵士が○○という地域に出征していったんだ・・・」という具体的な話が出てくるから。地続きに大国があり、ごく近くに経済、政治、文化の色、匂いがさまざまに入り組んだ多くに国を控えている国と国民の持つ目に見えぬ緊張感を感じる瞬間でもあります。


posted by みほこ at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 夏休み2006 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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