初オペラ×初現代音楽 オペラ『Only the Sound Remains -余韻-』 鑑賞記
人生初の生オペラでした。「フィンランド」というキーワードで会場まで足を運びました。
オペラというと、からだの大きなオペラ歌手の方々が朗々と歌い上げる長い作品、という固定観念があります。しかも、歌詞はイタリア語やドイツ語など、わけ分からないし… 合唱は好きなのに、オペラは超苦手なのですが、とにかく行ってみようと重い腰を上げました。
まず、悩みは服装。オペラを鑑賞する方々は、きっと着飾っているに違いない… 一緒に行く予定になっていた友人に相談。マチネの時間帯なので、それほど気張らなくても大丈夫ではないか、というアドバイスをもらって、仕事に行くときのような服装で出かけました。靴を悩みましたが(東日本大震災以降、電車に乗るときは運動靴)ちょうど気候も温かくなって来ていたので、サンダルに。冷房対策に持ち歩く上着をカーデガンからジャケットに切り替える、という変更はかけました。
演目は『Only the Sound Remains -余韻-』カイヤ・サーリアホ Kaija Saariaho 作曲
原作を能の『経正』と『羽衣』をモチーフにしたオペラで2016年にアムステルダムで初演となったオペラ作品。オペラと言うと、フルオーケストラにたくさんの出演者で構成される作品が多いが、この作品は、ソリスト2名、しかも女性の声を男声のカウンターテナーが担当。コーラスは4名。楽器の担当は、7名。内1名は、カンテレ奏者。そして、ダンサー1名というとても小さな編成の作品。この小さい編成ながら東京文化会館大ホールが圧倒的な世界観で魅了されました。
メロディーも拍子もいわゆる現代音楽故の予想不能、記憶不可能な流れのため、鑑賞後に口ずさむとか、からだが自然にリズムを刻むということはできない作品でしたが、舞台演出やダンサーとソリストの動きなど、ステージ上の演出と音、そして、映像が組み合わさって初めて完成する作品で、おそらく録音された音だけでは十分にこの作品を楽しむことが難しいという舞台芸術の典型なのではないかと思いました。
フルートが尺八のような音を奏で続け、様々なカンテレの音が出ていることに気が付いて、休憩時間にオーケストラピットを覗きに行くと、そこには、大小5台のカンテレが並んでいました。5弦の小さなカンテレも低音カンテレというものだ、と偶然出会ったカンテレ協会の方に教えていただきました。どんなに強くかき鳴らしても他の楽器と一緒に演奏するとなるとその音のサイズがどうしても小さいカンテレですが、GENELECの拡声器を駆使し、歌い手の声とも調和した音を出していました。
カンテレがこのようにオペラに取り込むことができるのはフィンランド出身の作曲家だからこそ。作曲家が母国ならではの楽器を取り込むことで世界に向けて民族楽器の存在が広がっていくわけで、これもまた、すごいことだなと思いました。
現代音楽への思い。
現代音楽は、作曲家の自己満足に過ぎないのではないかと常に思っていました。この複雑な音の組み合わせ、リズムに君らは(聞き手)は付いてこられるかな!?という挑戦状のようにも思えていました。演奏家たちに対してもです。ただ、演奏家たちは、みな音楽家なので、その挑戦状にもちろん受けて立つでしょう。でも、聴衆は!?生理的に不自然なリズム、音は長く聞くのはたいへんです。特にホールなどという箱の中に押し込まれた状態で聞くのはとても怖いものです。この思いは今も変わっていません。ですが、今回のサーリアホの作品を聞いて、あることに気付きました。彼女の作品は、自然の中で起こっている音を再現しようとしているところがある。そして、人の感情を音に置き換えようとしているところもある。そうなると、規則的なリズムや和音、調和だけではなくなるはず。荒れた心があるときストンと落ち着く感じ。『経正』の終盤のある場面の音を聴いていてふと気づいたのです。ソリストとコーラスでわざと作られていた不協和音がすっと安定した音に変わったところで。
正直、かなりおっかなびっくりで会場に向かった演奏会でしたが、聴きに行ってよかったと思います。100年後、演者が変わっても演奏し続けられる作品として残って欲しいなと思います。
原作の能の作品も今後鑑賞する機会があれば…などと思っています。

2021年6月6日(日)
15時開演 17時終演
第1ステージ 45分
第2ステージ 45分
会場 東京文化会館大ホール
オペラというと、からだの大きなオペラ歌手の方々が朗々と歌い上げる長い作品、という固定観念があります。しかも、歌詞はイタリア語やドイツ語など、わけ分からないし… 合唱は好きなのに、オペラは超苦手なのですが、とにかく行ってみようと重い腰を上げました。
まず、悩みは服装。オペラを鑑賞する方々は、きっと着飾っているに違いない… 一緒に行く予定になっていた友人に相談。マチネの時間帯なので、それほど気張らなくても大丈夫ではないか、というアドバイスをもらって、仕事に行くときのような服装で出かけました。靴を悩みましたが(東日本大震災以降、電車に乗るときは運動靴)ちょうど気候も温かくなって来ていたので、サンダルに。冷房対策に持ち歩く上着をカーデガンからジャケットに切り替える、という変更はかけました。
演目は『Only the Sound Remains -余韻-』カイヤ・サーリアホ Kaija Saariaho 作曲
原作を能の『経正』と『羽衣』をモチーフにしたオペラで2016年にアムステルダムで初演となったオペラ作品。オペラと言うと、フルオーケストラにたくさんの出演者で構成される作品が多いが、この作品は、ソリスト2名、しかも女性の声を男声のカウンターテナーが担当。コーラスは4名。楽器の担当は、7名。内1名は、カンテレ奏者。そして、ダンサー1名というとても小さな編成の作品。この小さい編成ながら東京文化会館大ホールが圧倒的な世界観で魅了されました。
メロディーも拍子もいわゆる現代音楽故の予想不能、記憶不可能な流れのため、鑑賞後に口ずさむとか、からだが自然にリズムを刻むということはできない作品でしたが、舞台演出やダンサーとソリストの動きなど、ステージ上の演出と音、そして、映像が組み合わさって初めて完成する作品で、おそらく録音された音だけでは十分にこの作品を楽しむことが難しいという舞台芸術の典型なのではないかと思いました。
フルートが尺八のような音を奏で続け、様々なカンテレの音が出ていることに気が付いて、休憩時間にオーケストラピットを覗きに行くと、そこには、大小5台のカンテレが並んでいました。5弦の小さなカンテレも低音カンテレというものだ、と偶然出会ったカンテレ協会の方に教えていただきました。どんなに強くかき鳴らしても他の楽器と一緒に演奏するとなるとその音のサイズがどうしても小さいカンテレですが、GENELECの拡声器を駆使し、歌い手の声とも調和した音を出していました。
カンテレがこのようにオペラに取り込むことができるのはフィンランド出身の作曲家だからこそ。作曲家が母国ならではの楽器を取り込むことで世界に向けて民族楽器の存在が広がっていくわけで、これもまた、すごいことだなと思いました。
現代音楽への思い。
現代音楽は、作曲家の自己満足に過ぎないのではないかと常に思っていました。この複雑な音の組み合わせ、リズムに君らは(聞き手)は付いてこられるかな!?という挑戦状のようにも思えていました。演奏家たちに対してもです。ただ、演奏家たちは、みな音楽家なので、その挑戦状にもちろん受けて立つでしょう。でも、聴衆は!?生理的に不自然なリズム、音は長く聞くのはたいへんです。特にホールなどという箱の中に押し込まれた状態で聞くのはとても怖いものです。この思いは今も変わっていません。ですが、今回のサーリアホの作品を聞いて、あることに気付きました。彼女の作品は、自然の中で起こっている音を再現しようとしているところがある。そして、人の感情を音に置き換えようとしているところもある。そうなると、規則的なリズムや和音、調和だけではなくなるはず。荒れた心があるときストンと落ち着く感じ。『経正』の終盤のある場面の音を聴いていてふと気づいたのです。ソリストとコーラスでわざと作られていた不協和音がすっと安定した音に変わったところで。
正直、かなりおっかなびっくりで会場に向かった演奏会でしたが、聴きに行ってよかったと思います。100年後、演者が変わっても演奏し続けられる作品として残って欲しいなと思います。
原作の能の作品も今後鑑賞する機会があれば…などと思っています。

休憩中。カンテレの調弦をされてました。
2021年6月6日(日)
15時開演 17時終演
第1ステージ 45分
第2ステージ 45分
会場 東京文化会館大ホール
この記事へのコメント