【映画鑑賞記】 『ラストディール 美術商と名前を失くした肖像』
本年のEUフィルムデイズにフィンランド映画としてリストに挙がったのがこの『ラストディール』だと知った時、どれだけ嬉しかったことか。2020年2月末に日本で封切られた直後に最初の緊急事態宣言が出て、映画館での鑑賞がかなわなかった作品だったからです。
予告編は、いったい何回見たことか。予告編から得られた情報で「あの絵」がレーピンの絵だろうということ。「あの画商」が商売を畳む前の生涯最後の大きな、賭けにも似た勝負に出るだろうことは分かっていましたが…
雨の多い秋のヘルシンキでのおそらく数週間の出来事として描かれている映画です。フィンランド映画だから観に行ったことに違いありませんが、フィンランドという要素を抜いても映画館で観たいと思う映画だったので、映画館で鑑賞できたことはとても嬉しいことでした。
フィクション映画でありながら、今のフィンランドの市井人の生活ぶりがよく描き込まれている映画でセリフに耳を傾けながらも、描きこまれている出来事、スクリーンの中に映っているモノにも目を走らせながら90分強の時間を楽しみました。
以下映画鑑賞記です。物語の流れはネタバレはしないように気を付けましたが、それでもいろいろバレていますので、未鑑賞の方は、どのタイミングで読むのかは考えてくださいね。
≪画廊≫
アトリエという場所に実際に足を踏み入れたことは、フィンランドでも日本でも数回しかありませんがこれほどごちゃごちゃした感じのアトリエはさすがに見かけたことがありません。ただ、既視感を覚える場所はフィンランドでよく目にしています。ヘルシンキへ行くたびに必ず立ち寄る古本屋さんです。古書店。ここ数年(と言っても、2020年以降は行っていないですが…)、有名なお店が数軒、次々と店をたたみました。映画の中で、画廊があったブレバルディの近くには、画廊や古書店がけっこうあって(アンティークショップもある地区です)、フィンランド人の生活を感じることができる地区の一つでもあります。
≪職場体験≫
大学生が行うインターンとは違った高校生の職場体験。日本でも例年、同じ場所で職場体験を受け入れているところに出くわしますが、フィンランドにも数日の職場体験があります。実は、この職場体験、実際に元職場で受け入れたことがあったので、懐かしく思い出しました。オット君(主人公のお孫さんで映画のポスターにも出ている男の子)は、おじいちゃんの画廊で職場体験するわけですね。なかなかスリリングな職場体験だったでしょう。
≪オット君が補導された理由≫
オット君は、補導歴がある少年です。補導歴の理由はフィンランドで実際にあった出来事がベースになっています。都心部の大型店舗は、同じ品物でも安く仕入れることができるので、販売価格は小売店より当然廉価。その商品を購入した小売店が定価で販売し利ザヤを得ていたという出来事がありました。そんなことまで盛り込まれていることにちょっと驚きました。
≪絵を鑑賞する目線≫
絵画も彫刻も何のために作成されるのかな、と美術館に行くたびに思います。最初から美術館に並べるために作成されているわけではないはずなので…画廊でお客さんが気に入った絵を買い求めるシーン。こんな風に絵は家庭の中に入っていくと言う疑似体験でもありましたが、「絵画」をめぐる厳しい世界も見せつけられましたね。そして、もう一つの目線は、金銭的な価値をつける画商が絵を見る目線。アテネウム美術館で、おじいさんがオット君に画商目線で絵画作品の説明していたシーンは、学芸員や研究者が作品を語るのとは違う厳しさと優しさ、作家の思いを感じとる鋭さを感じ、あ、そういう目線ってすごい、と瞬間的に感じました。
≪人生の終焉≫
フィンランドは、福祉が行き届いている国と紹介されます。確かに充実しています。なので、最期の時を迎えるまでの不安は、殆どないでしょう。ただ、その後、残された物品をどうなるのか。本人が生前、処分することも多いと思いますし、ちゃんと遺書を残し、意思を継ぐ人へと残されることの方が多いでしょう。ただ、相続できる人がいない場合、美術品であればオークションでやり取りする「商品」として流れ、新しい所有者へと手渡されることが描かれていたのだ、と後から気付きました。そして、おそらく身寄りのない人が思いのほか多いという現実も伝えているのだと思いました。小説にもそのような境遇の人が登場人物で出てくることはありますが、個人的にこの話を裏付けるような現実の話を何度となく耳にしているので、映画にまで描かれるほど普通のことなのだなと思ったのです。
≪図書館≫
今、私が図書館を利用するのは、書籍を借りるためだけになっています。図書館は、調べものもできる場所だったな…と。調べものが必要となるような出来事が起こって欲しいなと憧れを持って図書館内のシーンを観ていました。
≪映画内で流れた楽曲≫
予告編でも流れている音楽も好きですが、最後に流れる合唱は、物語の最後にこれ以外にない音楽で、人の声の重なりが作り出す音とフィンランドの人たちが合唱を愛するが故の選択でもあったのかなと思いながら聞き惚れてしまいました。
DVDソフトが入手できるようですが、できれば映画館での上映が今一度かなって欲しいと願わずにいられない作品です。
日本版予告編とフィンランド版予告編。かなり見せ場が違います。
比べると面白いので両方のリンクを貼ることにします。
日本版 予告編
フィンランド版 予告編
雨の多い秋のヘルシンキでのおそらく数週間の出来事として描かれている映画です。フィンランド映画だから観に行ったことに違いありませんが、フィンランドという要素を抜いても映画館で観たいと思う映画だったので、映画館で鑑賞できたことはとても嬉しいことでした。
フィクション映画でありながら、今のフィンランドの市井人の生活ぶりがよく描き込まれている映画でセリフに耳を傾けながらも、描きこまれている出来事、スクリーンの中に映っているモノにも目を走らせながら90分強の時間を楽しみました。
以下映画鑑賞記です。物語の流れはネタバレはしないように気を付けましたが、それでもいろいろバレていますので、未鑑賞の方は、どのタイミングで読むのかは考えてくださいね。
≪画廊≫
アトリエという場所に実際に足を踏み入れたことは、フィンランドでも日本でも数回しかありませんがこれほどごちゃごちゃした感じのアトリエはさすがに見かけたことがありません。ただ、既視感を覚える場所はフィンランドでよく目にしています。ヘルシンキへ行くたびに必ず立ち寄る古本屋さんです。古書店。ここ数年(と言っても、2020年以降は行っていないですが…)、有名なお店が数軒、次々と店をたたみました。映画の中で、画廊があったブレバルディの近くには、画廊や古書店がけっこうあって(アンティークショップもある地区です)、フィンランド人の生活を感じることができる地区の一つでもあります。
≪職場体験≫
大学生が行うインターンとは違った高校生の職場体験。日本でも例年、同じ場所で職場体験を受け入れているところに出くわしますが、フィンランドにも数日の職場体験があります。実は、この職場体験、実際に元職場で受け入れたことがあったので、懐かしく思い出しました。オット君(主人公のお孫さんで映画のポスターにも出ている男の子)は、おじいちゃんの画廊で職場体験するわけですね。なかなかスリリングな職場体験だったでしょう。
≪オット君が補導された理由≫
オット君は、補導歴がある少年です。補導歴の理由はフィンランドで実際にあった出来事がベースになっています。都心部の大型店舗は、同じ品物でも安く仕入れることができるので、販売価格は小売店より当然廉価。その商品を購入した小売店が定価で販売し利ザヤを得ていたという出来事がありました。そんなことまで盛り込まれていることにちょっと驚きました。
≪絵を鑑賞する目線≫
絵画も彫刻も何のために作成されるのかな、と美術館に行くたびに思います。最初から美術館に並べるために作成されているわけではないはずなので…画廊でお客さんが気に入った絵を買い求めるシーン。こんな風に絵は家庭の中に入っていくと言う疑似体験でもありましたが、「絵画」をめぐる厳しい世界も見せつけられましたね。そして、もう一つの目線は、金銭的な価値をつける画商が絵を見る目線。アテネウム美術館で、おじいさんがオット君に画商目線で絵画作品の説明していたシーンは、学芸員や研究者が作品を語るのとは違う厳しさと優しさ、作家の思いを感じとる鋭さを感じ、あ、そういう目線ってすごい、と瞬間的に感じました。
≪人生の終焉≫
フィンランドは、福祉が行き届いている国と紹介されます。確かに充実しています。なので、最期の時を迎えるまでの不安は、殆どないでしょう。ただ、その後、残された物品をどうなるのか。本人が生前、処分することも多いと思いますし、ちゃんと遺書を残し、意思を継ぐ人へと残されることの方が多いでしょう。ただ、相続できる人がいない場合、美術品であればオークションでやり取りする「商品」として流れ、新しい所有者へと手渡されることが描かれていたのだ、と後から気付きました。そして、おそらく身寄りのない人が思いのほか多いという現実も伝えているのだと思いました。小説にもそのような境遇の人が登場人物で出てくることはありますが、個人的にこの話を裏付けるような現実の話を何度となく耳にしているので、映画にまで描かれるほど普通のことなのだなと思ったのです。
≪図書館≫
今、私が図書館を利用するのは、書籍を借りるためだけになっています。図書館は、調べものもできる場所だったな…と。調べものが必要となるような出来事が起こって欲しいなと憧れを持って図書館内のシーンを観ていました。
≪映画内で流れた楽曲≫
予告編でも流れている音楽も好きですが、最後に流れる合唱は、物語の最後にこれ以外にない音楽で、人の声の重なりが作り出す音とフィンランドの人たちが合唱を愛するが故の選択でもあったのかなと思いながら聞き惚れてしまいました。
DVDソフトが入手できるようですが、できれば映画館での上映が今一度かなって欲しいと願わずにいられない作品です。
日本版予告編とフィンランド版予告編。かなり見せ場が違います。
比べると面白いので両方のリンクを貼ることにします。
日本版 予告編
フィンランド版 予告編
この記事へのコメント