道路の片隅には、まだうずたかく雪が残っていて、川や海も凍って閉ざされているけれど、空を見上げ、雲を見ると、夏なんじゃないか・・・という真っ青な空。紫外線予防、眩しさ防止にサングラスをかけている人も現れはじめました。そう、この明るさは、サングラスが必要。
今年の冬は、寒さが厳しかったけれど、途中寒さが緩んだときに、雪が解け、その後また寒さが厳しくなったときに氷になってしまったので、庭に積もったり、除雪して道路わきに寄せられた雪が解けるのに時間がかかると思う、なんていう声を聞きました。
週末にトゥルクまで出かけてきました。最近トゥルクに滞在するのは、いつもとても短時間なのだけれど、ヘルシンキと違って、街に降り立つとほっとします。大聖堂の鐘の音を聞くと、ああ、帰ってきたなぁと思いますしね。
随分とお店も変ってしまったけれど、建物そのものはそのまま。この20年、変らずずっと営業しているお店も残っていて、生まれ育った街に久しぶりに行って感じるのと同じような感慨を持ちます。日本の生まれ育った街よりも変化が小さいので、どこがどこだかわからないということも起こらなくて良いです。
今さらながらひたすら残念だったなと思うのは、当時は、何に必死だったのか、大学と学生寮との単純な往復の繰り返しで、学校周辺と街の中心地辺りしか知らないということ。もう少し歩き回っておけばよかったと、今、時折訪ねるたびに思います。
まあ、貧乏学生だったので、カフェに入るなんてゆとりは全くなく、贅沢していたのは本くらい。その本も、古本屋に入り浸ってやっとの思いで買っていたなぁと街の風景を見ながら思い出していました。
ご飯にしても、学校の食堂の安い食事ですらもったいないと思っていて、朝から晩まで授業がある日は少なかった(はず)なので、食事の時間は寮にいて、適当に食べていたと思います。当時、留学すると甘いものを食べる量が増えるので、必ず体重が増えるといわれていたけれど、サイズが変ることはなく、かといって風邪をひくこともなく、元気に過ごしておりました。
贅沢といえば・・・郵便代はものすごく使ったかも。当時は、携帯電話などなく、固定電話も引いていなかったので、家族や友人たちにやたらと手紙を書いていました。日本からのニュースも全く入って来なかったので、気分的にはかなりのんびりと過ごせていたのだと思います。
当時、自分が何を見て、考え、過ごしていたのか、時間が経過した今、振り返ってみたい、と思うようになりました。
こちらに滞在していたとき、日本と隔絶された生活をしながらも平気でいられたのは、今も時間が合えば会ってくれる友人たちと、当時の留学生仲間たちの存在があったから。自分がいかにものごとを何も知らない、世の中が見えていない島国・日本から来てしまったのかを自覚させてくれたのは、留学生仲間の存在。将来の母国をしょって立つために国費で留学している人もいれば、自分のルーツを知るために留学して来た人。フィンランドを研究対象としているために留学している人など年齢も人種もさまざまな人たちと、共通語はフィンランド語という不可思議な日々を過ごすことができたことは、今の私にかなり影響を及ぼしているのだろうと無自覚ながらも思います。
今、まさに、この瞬間、自分が立っている場所によって世の中を見る、感じる座標軸が大きく変わってしまうことにふがいなさを感じながらも、一日一日を丁寧に過ごしていきたいと思います。
・・・妙にまじめになってしまったけれど、まあ、たまには、いいですね。
トゥルクに到着してすぐに、大聖堂の時を告げる音を聞き、無性にどこかで祈りたいと思い(何に対して祈りを捧げるのかは、漠然としていたけれど)ました。
そして、今、頭の中をぐるぐる回っている局は、さだまさしさんの「祈り」です。